個人的なグリフィーの思い出は・・・アメリカ人の親戚にグリフィーとジェイ・ビューナーの家の前まで連れて行ってもらったことです。実際プレイしているところをテレビとネット以外では見たことはなかったな。 #mariners #mlb

[MLB短評]The Kid like no other

マリナーズのグリフィーが引退=歴代5位の通算630本塁打―米大リーグ(時事通信) – goo ニュース
Griffey Jr. announces his retirement (MLB.com)
The joy was gone, and now so is The Kid (Seattle Times)
Griffey always played the right way (MLB.com)
Griffey changed baseball in Seattle (ESPN)

ステロイドの時代、そしてポスト・ステロイド時代にあって、ケン・グリフィーJrを「ステロイドの問題に全く関わらなかった偉大な打者」という評価をするのは、あまりにも悲しすぎますし、あまりにも機械的すぎます。むしろ、グリフィーの魅力は人々に喜びを与えるプレイと、人間味のある性格、そして多くのファンが見たいと思わせてくれる打撃と守備に全てが集約されると思います。

キャリアの晩年、グリフィーがいかに愛される選手だったかを思い知ったのは、2007年のオールスターに出場したときでした。レッズに移籍してからずっとケガに悩まされ続け、オールスターの投票の頃にはグリフィーは故障者リストに入る一方で、人々はグリフィー以外のスター選手へ票を投じ続けました。しかし、この年のグリフィーは珍しく健康な状態でシーズンの前半を戦うことができました。その結果、ナショナルリーグで最高投票数を獲得してオールスターに先発出場を果たしました。このことは、どれくらい多くのファンがグリフィーを見たがっていたのかの証拠です。それどころか、オールスターに来た若い選手たちにとっても、グリフィーがオールスターに出場すること、そしてその場に自分も一緒にいることができることに感謝していました。

Griffey plays like All-Star of old (ESPN 2007/7/10)

ファンがグリフィーを愛するように、グリフィーもまた野球というスポーツを愛していました。それはグリフィーのプレイぶり、特にキングドーム時代のマリナーズに在籍していた若い頃のプレイを見るとそれは顕著です。ホームランだけではなく、劣悪な環境のキングドームの外野を支配し、ファンの心を支配し、アメリカ北西部のメジャーリーグ文化を支配しました。

その野球愛ゆえ、たまにアグレッシブ過ぎるプレイをすることにより、ケガが多くなってしまったのは残念なことです。今でも覚えているのは、1995年のプレイオフ争いが熾烈になりだそうとしていたころだったと思いますが、キングドームの柔らかいフェンスを駆け上がるようにフライを捕球したときに、右脚をケガしてしまいました。その前から、そしてその後も、グリフィーはケガが絶えず、特にレッズ時代には、グリフィーがシーズン中に出場していない時期の方が多かったことが珍しくありませんでした。一時期、シンシナティーではグリフィー放出を求めるファンが出たほどです。もしグリフィーがもっと健康体であったとしたら、630本塁打どころではなかったはずです。しかし、グリフィーにとって、あのようなプレイそれこそが正しかったのだと思います。グリフィーが正しいプレイを心がけていたのではなく、グリフィーのプレイが正しいやり方だったのです。

630本のホームラン、多くのケガと、それ以上の数えきれないほどの夢を人々に与えたグリフィーは、残念ながら一度もワールドシリーズへ出場することすらできませんでした。ここ最近では「昼寝事件」で泥が付いてしまった印象も拭い去ることはできません。しかし、多くのファンと、もっと言うとアメリカ国民は、シアトルとシンシナティという目立たない都市でプレイしてきた(大都市シカゴのチームに在籍していたこともあったけど・・・)「Kid」の成長と活躍、時には苦しみと復活、それらを全て見守ることができました。ただし、その別れ際は驚くほどに静かなものになりました(それはグリフィーと同じ時期にマリナーズを全米中に知らしめたもう一人の偉大な選手、ランディ・ジョンソンの引き際とも重なります)。

グリフィーが人々の前に出て何らかのメッセージを送ることは予定されていない模様です。そのときに出すべき大歓声は、殿堂入り式典のときまで取っておきましょう。

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