れいな

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いい表情してるれいな

[短評]バカも休み休み言え

3月11日は日本人にとっては当然のこと、世界にとってもあの津波の映像と共に忘れることができない日だと言えるでしょう。しかしだからといってここまでする必要は果たしてあるのでしょうか。

3月11日を休日に (トップブレイン)

東日本大震災から1年。

 今日という日を迎えてみますと、私(代表 片桐)の記憶の中で「東日本大震災」にまつわる色々なことは「薄らいでいた」と感じざるを得ません。

 ただ「今日という日を決して忘れてはならない」と強く思いました。

 1年前の2011年3月11日は金曜日でした。

 そして今年はたまたま日曜日。

 各地で色々な行事が行われ、またメディアでも取り上げられ、平日よりも行事に参加し、メディアに触れる人、そして何かを感じ、考える人が多いのではないでしょうか。

 来年2013年は月曜日、ちなみに向こう30年2041年までの間に日曜日は、来年以降4回しかありません。

 ちなみに次に3月11日が日曜日になるのは6年後の2018年3月11日になります。

 私は今後、3月11日は休日にすべきではないかと思います。

 今ある休日を減らしてでも。

 そう思います。

 以上です。

筆者は今年の3月11日は日曜日と重なったこともあり、多くの人が「各地で色々な行事が行われ、またメディアでも取り上げられ、平日よりも行事に参加し、メディアに触れる人、そして何かを感じ、考える」日になったのではないかと書いています。だから「今日という日を決して忘れてはならない」ため、今後も3月11日を休日にせよ、というのです。あの震災をどのように捉えるかは人それぞれでしょうが、「3月11日を休日に」などとは文字通り「休み休み」言ってもらいたいです。

個人的には、3月11日は追悼を捧げるべき日であるし、恐らくこの日付を見れば否が応でもあの震災と結びつけてしまう日になったと思います。しかしそれは1月17日もそうだし、3月10日(3.11の前日で東京大空襲の日)や8月6日、9日や15日、9月1日も同じです。いや、そうした日はもっとあるかもしれません。それなのになぜ3月11日「だけ」が「決して忘れてはならない」ために休日にしなければならないのか、そこまでしてこの日を特別視するのはなぜなのか、自分には理解できません。

メディアは震災が日本は変わったと言っているようですが、むしろこれからは日本人が日本を変えていく必要があるように感じます。3月11日はその契機の一つにすぎません。それどころか2011年3月10日以前の問題も山積みになっているにもかかわらず、日本人はそれから目を逸らそうとしているとすら感じます。

[短評]気持ち悪い自画自賛

「新聞読む」87% 「影響力」「正確」震災後評価高まる (産経新聞 2012/3/9)
新聞を読む人は87%、震災後に新聞の評価高まる
-新聞協会が「2011年全国メディア接触・評価調査」結果を発表- (日本新聞協会 PDF)

信じがたいのですが、日本新聞協会が行った「2011年全国メディア接触・評価調査」において、東日本大震災後の新聞の印象について「評価が高まっている」との結果が出たそうです。これがもし「東日本大震災”直後”の新聞の印象について評価が高まった」であれば納得してもいいかと思います。いや、あのような混乱時にまともな情報を流すことができないのであれば報道機関としての役割がないのに等しいのであり、やって当たり前のことに評価を下しても仕方ないです。いうなれば、救急車が確実に急患を病院に運んで「消防署への評価が高まった」と言ってるのと同じだからです。

実際のところ、震災前の新聞をはじめとしたメディアの凋落ぶりには目を当てられません。例えば原発事故後、数々の原発の安全性を疑う証言や文書があることが報道されました。なぜそうしたものはもっと前から報道できなかったのでしょうか。共産党の新聞「赤旗」は福島の原発の安全性について震災前に報道していましたが、共産党であるがゆえ、それはほとんど知られることはありませんでした。メディアは過去の原発報道に対する検証すらしようとしませんが、原発に不利な報道をしなかったのは、一部で言われるように東京電力に屈していたからなのでしょうか。同時に以下の記事が示すような、日本の報道が大本営発表の情報を伝えるのが主で「掘り起こし型」報道に弱い体質があるのでしょうか。

ピュリツァー賞と日本新聞協会賞はこんなにも違う (現代ビジネス 2010/4/19)

また「東日本大震災後の新聞の印象」ということであれば、この事件も日本の新聞の信頼を損ねたものとして記録されることでしょう。昨年秋以降騒がせたオリンパスの損出隠し事件で、「ファクタ」以外の国内メディアは当初、オリンパス広報の内容を鵜呑みにした上で、主役のウッドフォード前社長を「日本の文化を知らないガイジン」と評しました。しかし長年日本で暮らした前社長は、日本のメディア(と検察)の無能ぶりを知っていたため、日本のメディアより世界的に影響力があるフィナンシャル・タイムズやBBCなどに事の一部始終を話しました。それがロイターやブルームバーグといった世界的な経済メディアによって日本語で報道されるようになりました。

日本のメディアが事の重大さに気づいたのはそれからもっと後です。しかも、前社長が取締役会のため日本へ来たときには、海外メディアの隣で、前からこの事件を追っかけているかのような顔をした日本のメディアは前社長に対してスーパースター級の出迎えをしました。それでも日本の新聞は「知的」「情報は正確」などと言えるのでしょうか。

日本新聞協会は震災1周年を前にこうした調査結果を出すことで、改めて日本の新聞の有効性を証明したかった、もっというなら自画自賛をしたかったのでしょう。そうした新聞協会の姿勢にも、また震災のような非常時ではなく平時の新聞の報道姿勢に疑問を持たず新聞を異常なほどに信頼しきっている日本国民にも、虫酸が走る思いがします。

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