[短評]リンカーンと日本の憲法

5月2日、仕事が早く終わったので、六本木ヒルズのTOHOシネマズへ映画「リンカーン」を観に行きました。今日はそのお話。

まだ自動車がない時代のワシントンDCは、今のように物々しい警備のワシントンDCとは程遠い街でした。かのセオドア・ルーズベルトは、大統領時代にポトマック川で水泳をして遊んでいたと言われているほどです。この映画で描かれる1865年1月のワシントンDCにおいても、エイブラハム・リンカーンは馬車に乗り街中を移動し、執務室の目の前まで陳情書を持った人が溢れかっていました。

その一方、ワシントンDCから少し離れたところでは、南北戦争による、今では想像できないほどの凄惨な状況が広がっていました。1860年の大統領選挙に当選して4年、奴隷制廃止に反対する「南部」連合政府の抵抗に遭い、戦争を終わらせることができなかったリンカーンは、どのようにしたらこの戦争を終わらせ、アメリカをひとつの国としてふたたび前へ歩み出せるようになるのか苦悩しました。リンカーンは1864年に大統領に再選されますが、その前年、ゲティスバーグでの戦いで北軍が勝利を収めたことにより、戦争の形成は北軍に傾き始めていました。同時に、2期目が始まる1865年1月は、下院で多数派を占めていた、奴隷制廃止に反対する民主党の多くの議員が失職する時期でもありました。リンカーンは、この隙間を狙って憲法修正第13条を何とか成立させようと苦悩します(上院では前年にこの法案は通過していました)。この映画は、その1ヶ月を描いたものになります。

この時期の基本的な歴史を見るには、教育テレビの「高校講座」のこのレジュメをご覧いただくのが早いかと思います。

ちなみに、リンカーンと黒人奴隷の関係としては、1863年に「奴隷解放宣言」というものがあります。これには法的効力は存在しませんでした。この点は、映画の初めの部分、大統領と閣僚が会議をするシーンでも取り上げられています。奴隷解放宣言により、南部の黒人が北部へ渡り、北軍に加わったこともまた、南北戦争の形成を変える要因となりました。しかし、リンカーンは憲法に奴隷制度の廃止を明記することを最重要だと考えたわけです。

ところで、ワシントンでは「この世で見てはいけないものがふたつある」と言われています。一つはソーセージが出来る過程、もうひとつは法律が出来る過程だというのです。この映画では憲法修正案ということになりますが、いずれにしても、議会で法案を通すには、結局のところひとりでも多くの支持を集めること、これに尽きます。実際のところ、この映画の中でも、共和党側の裏方が失職予定の民主党員に対して次の仕事を斡旋する見返りに、憲法修正案に賛成するようにと動きまわるシーンがあります。このあたりの根回しは、その手法や見返りがどのようなものであれ、19世紀も21世紀何も変わりません。

一方でリンカーンは連合政府へ密使を送り、和平を探ろうとします。このことは国務長官も感知しない中で行われたことですが、戦争での勢いを失い、疲弊している連合政府は交渉を受け入れます。しかし、南軍の交渉団がワシントンに足を踏み入れることが知れ渡ると、リンカーンは南部に弱いという印象がうまれ、憲法修正案の通過にも支障を来たします。そこでリンカーンは文字通りギリギリの線で交渉手続きを進めようとします。そのような中で、1865年1月31日、憲法修正案の下院決議の日を迎えます。

リンカーンは、もちろんのことではありますが、戦争を早く終わらせて平和をもたらすことを第一に考え、その中でも最大の障害である奴隷制度の廃止に奔走しました。しかし、この映画ではその本当の理念は何かについては、実のところそれほど強調されていません。子どもたちが読むような空想的な伝記本を元にした映画というよりも、若干の演出を含めた史実を元にした歴史映画と言うべきでしょう。だから映画を覆うものは、リンカーンの法案通過後を描いた理想よりも、法案通過前の苦悩になります。

ただし、リンカーンはこの中で非常に重要なことを話しています。奴隷制度を廃止することは、「現在の奴隷やその子孫だけでなく、まだ生まれてきていない世代に対しても大きな影響を与えることになる」、ということです。この点は、民主党が奴隷(主に黒人奴隷)が白人社会に入り込むことで、今ある社会が混乱すると懸念したのとは対を成します。つまり、民主党は今のことだけを考え、リンカーンはもっと先のことまで考えていたことになります。

この点は今の日本で行われている憲法議論とも繋がるところを感じさせました。1860年代、黒人が白人社会に入るこむことへの不安がありながらも、リンカーンは戦争を終わらせるため、そして将来のことまで見据えた上で、この憲法修正に熱意を注ぎました。一方で今の日本での憲法議論は、来るべき憲法改正より(憲法第96条を変えるためには、「現在の」憲法第96条の下での国会通過と国民投票を行われけばならないのですが)、近づいている参院選での勝利のための熱意に煽られているだけではないかと思います。もっといえば、9条や96条を変えるかどうかの問題以前に、憲法議論そのものが軽々しいものになりつつある印象があります(そのことと96条の要件を変えることはまた別問題)。

映画の中は、憲法改正をするかしないかというギリギリの世界でした。その一方、憲法改正の発議が出された時(それはほぼすべての日本人が経験したことがない光景でもありますが)、日本でもあの映画のような混乱が起こるのでしょう。混乱は関心が集まる中で生まれるからです。その際、本当に将来の日本のことを考えてまで96条を変えようという熱意が、そのときの首相が(誰かは知りませんが)持っているのだろうかという疑問がよぎります。

リンカーンは、アメリカ軍最高指揮官として戦争を見ただけでなく、アメリカ合衆国の大統領としてアメリカ史上最も重要な憲法修正にも立ち会いました。ジョージ・ワシントンを除いて、リンカーン以上に、戦争が何たるかだけでなく、民主主義とはいかに難しいものなのかということを味わった大統領はいません。その点では、今の、というよりこの先数年間の日本は、リンカーンから多くのことを学ぶことができるかもしれません。憲法記念日の前日の夜、ふと考えてみました。

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