[MLB短評]The Greatest Man

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Beloved Hall of Famer Musial dies at 92 | MLB.com: News (2013.1.19)
Tributes pour out for Stan The Man | MLB.com: News (2013.1.19)
BASEBALL’S ‘PERFECT WARRIOR, PERFECT KNIGHT’ STAN MUSIAL DIES AT 92 : Stltoday (2013.1.19)
Stan Musial was one of the greatest players ever – ESPN (2013.1.19)
Remembering ‘the Man’ – FOX Sports (2013.1.20)

どんな人でも、歳を重ねればいつか死が訪れる。そのことは頭のなかで理解できても、いざ、スタン・ミュージアルが現地時間1月19日に92歳で亡くなったというニュースに接した時、それをすぐに理解することはできませんでした。

1938年に左腕投手としてセントルイス・カーディナルスに入団したミュージアルは、チームから放出すべきと言われるほどのコントロールのない投手でした。1940年8月には重要な左の肩を怪我し、ミュージアルの選手生命は若くして終わるかと思われていました。しかし、マイナーでの紅白試合を見ていた当時のGMのブランチ・リッキー(後にブルックリン・ドジャーズであのジャッキー・ロビンソンを見出した、あのリッキー)が、ミュージアルの右中間へのホームランに触発され、リッキーはミュージアルに外野手、そして打者としての道を開かせました。

それがどのような結果を後に産んだのかといえば、野球殿堂の小さなレリーフに収まりきれないほどの記録と、数字では割り出せない偉大さが証明しています。生涯打率.331、7度の首位打者、3度のMVP(1943年、46年、48年)と3度のワールドチャンピオン(1942年、44年、46年いずれもカーディナルス)、3,630安打(うち1,815安打はホームゲームで放ったもの、つまりもう半分は敵地で放ったもの)1943年から1963年まで、兵役に就いた1945年を除き24回のオールスターへの選出(20年で24回、というのは一時期メジャーリーグのオールスターゲームが1年に2度行われたから)、その他強打者と呼ぶべきにふさわしい数字を残していきました。1943年から54年にかけて、打率.330を一度しか下回ったことがない(1947年の.312)ミュージアルをどう抑えるべきか、当時のドジャーズ左腕投手、プリーチャー・ロウはこう語ったそうです。

Throw him four wide ones (walk him) and then pick him off first base.

しかし、ミュージアルはセントルイスのファンにとり、相手打者が無条件の恐れるほどの強打者、こつこつと重ねてきた数字以上の存在でした。ミュージアルは東海岸のチームでプレイをしていれば、もっと高い評価をされる選手だったと言われています。ミュージアルはメジャー昇格当時はテッド・ウィリアムズやジョー・ディマジオ、兵役から還ってきてからはウィリー・メイズやミッキー・マントルなどの影に隠れた存在でした。また上に出したように、1946年以降、まだ打撃成績は.330を割ることはなかった一方で、ワールドチャンピオンに輝いたことがありません。つまり、それだけ注目を浴びるだけの機会が少なかったことを意味します。

それには、当時のメジャーリーグのチームも、メディアも東海岸を中心としたものであり、中西部の小都市にあるカーディナルス自体が目立たない存在だったからだと考えられています(メジャーリーグの報道においては、今でも東海岸寄りな報道が見られるように感じますが)。ただ、ミュージアルのニックネーム”The Man”は、当時のドジャーズの記者が名付けたものであり、それがセントルイスの記者により広まったものだとされています。それは当時のニューヨークのメディアは、実際のところミュージアルの本当の凄さを評価していたけど、インターネットがある現代と違い、それを伝える術に乏しかっただけだったからかもしれません。そう考えると、今でも残るミュージアルに対する「最も過小評価されてきたスーパースター」という呼称自体が、いかに現代の東海岸的な視点に立ったものであるかがわかるような気がします。

それはともかく、カーディナルスとミュージアルは当時陽のあたる場所にはいたとは言えませんでした。それでも、ミュージアルはセントルイスそのものでしたし、全米で最も野球を愛する街で、現役当時も、引退後も最も愛される選手、人物でありつづけました。そうでなければ、ブッシュ・スタジアムに2つもミュージアルの銅像が立てられることはありません。ニューヨークやボストンにそんな選手はいますか?現在のカーディナルスGM、ジョン・モゼリアック氏はミュージアルについてこのように語っています。

Obviously he was the greatest baseball player to ever wear a Cardinals uniform but it was more than that. He meant much more than that to the city. When you think about his impact and what he meant as an ambassador to the city of St. Louis and to really this region. I think we were all blessed to have him and when I think about it, it makes me realize that that type of player, we’ll probably never see again in our lifetime.

ミュージアルが引退当時に保持していた数々の記録は、その後何人かの選手により破られました。その代表的なものが引退当時のナショナルリーグの安打数記録であった3.630でした。1963年の最後の試合に、ミュージアルはレッズ戦で二塁手の左への当たりの打球、3,630本目の安打を放ちました。このときの二塁手、ピート・ローズが18年後にミュージアルの安打記録を抜き去ります。

しかし、ミュージアルは多くの野球選手にとっての目標であり、同時に超えることのできない存在でした。ミュージアルは数字では表すことができない”baseball’s perfect warrior”であり”baseball’s perfect knight”であり”The Man”でした。アルバート・プホルスはミュージあると比較をされる中で、”El Hombre”というニックネーム付けられることを嫌いました。最も最近ではプホルズがロサンゼルス・エンジェルズへ移籍した際に、ある看板にこの文言が出ていたことに対して、プホルズが嫌悪感を示しました。”El Hombre”はスペイン語の”The Man”を意味し、そんなニックネームを頂戴することは恐れ多すぎたからです。そんなプホルズは今回の件に際して、このような声明を出しています。

Stan Musial was bigger than life. He is not only the greatest Cardinal of all time, but the greatest baseball player I have ever had the privilege of knowing.

I will cherish my friendship with Stan for as long as I live. I will hold our conversations close to my heart. You were a dear sweet man who influenced my game and my life more than you will ever know.”

ミュージアルは偉大なる92年の生涯を静かに閉じました。しかし、ミュージアルの偉大さを語り尽くし、その全てを理解するには92年では足りないのかもしれません。メジャーリーグの中で最も過小評価されてきたスーパースターと、現在でも東海岸のメディアに言われ続けらているミュージアルが選手やファンに与えたその影響力は、メジャーリーグの中で、というよりアメリカのプロスポーツにおいても最大級だと思います。

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[MLB短評]Class Act

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Pujols’ gesture helps fans salute Prince (MLB.com)
Fielder ready to test the open market (Milwaukee Journal Sentinel)
Brewers have several holes that need to be addressed (Milwaukee Journal Sentinel)

ミルウォーキー・ブリューワーズが2011年シーズンのディビジョン優勝を決めた現地時間9月23日の夜、ファンがミラー・パークから帰宅しようとするプリンス・フィルダーのそばからなかなか離れなかったそうです。もちろんシーズンを通じて活躍したフィルダーをねぎらう気持ちがあってこそでもありますが、同時にファンはフィルダーがミルウォーキーから離れて欲しくないという気持ちを正直すぎる形で表していたのだと思います。

優勝が決まる数日前、フィルダーは今シーズンがミルウォーキーでの最後であると自ら語ったと報道されました。なぜそうした発言をあえて行ったのかは本人のみ知るところでしょう。しかし、ブリューワーズのもうひとりの「プリンス」であるライアン・ブラウンが今シーズン途中に長期契約を結んでもらったのとは対象的に、チームはフィルダーへはなかなかオファを出そうとはしませんでしたし、今もその様子はありません。その中でフィルダーはチームは自分を評価していないのではないかと考えるようになった、というのが一般的な見方です。

フィルダーはポストシーズンも活躍をしました。ナショナルリーグのチャンピオンシップ第1戦、5回裏に右中間へ放った一発はブリューワーズのファンならばきっと忘れることはないでしょう。その活躍はカーディナルスのアルバート・プーホールズと同じく、ワールドシリーズ終了後、フリーエージェント市場での「活躍」をも保証するかのようでした。しかしチャンピオンシップの後半、カーディナルスはポストシーズン打率5割のブラウンで勝負を決するのは半ば諦め、フィルダーへのマークが厳しくなり、思うようなバッティングをさせてもらえませんでした。シリーズ通じて不安定だった先発陣、第5戦、第6戦でのお粗末すぎる守備もさることながら、ブリューワーズのチャンピオンシップ敗因の要因は、フィルダーがシリーズ後半で抑えられたことにも尽きます。ただしそれはフィルダーが怖い打者ゆえ受ける試練でもあるのです。

大量点差が付いたミルウォーキーでの第6戦の8回裏、先頭打者としてフィルダーが打席へ向かいました。その前からファンは立ち上がってフィルダーの姿をカメラに収めていました。そしてフィルダーは「ブリュークルー」として最後の打席に立ち、1球目を待とうとしました。そのときタイムが掛かりました。それを求めたのはプーホールズでした。それはブラウンいわく”Crazier things have happened”と呼ぶほどのことです。

プーホールズは今シーズン開始前からフィルダーと同じように今シーズン終了後の動向を注目され続ける中、チャンピオンシップまで勝ち上がりました。プーホールズにはフィルダーの気持ちも、フィルダーに離れて欲しくないというファンの気持ちもわかるのでしょう、試合後このタイムについて次のようなコメントをしています。

I’ve been in that situation in St. Louis with the best fans in baseball, and I wanted Fielder to get a great standing ovation. He’s done so well for this organization, and I’m pretty sure he’ll be back.

そのようなプーホールズのコメントに反して、ファンもメディアも、そしてチーム社長も、フィルダーは来年ミルウォーキーでプレイしないことは覚悟しています。それどころか、地元メディアでは早くもフィルダーが去った後の資金をどのように有効活用して、内野の守備の強化とブラウンの後ろを打つ選手を獲得すべきかが焦点となっています。

ただ、現実的な問題は別としても、プーホールズが行ったさほど大げさではないジェスチャーは、プーホールズの大きな心となぜプーホールズが既に偉大な選手なのかを表現していると思います。それは真似しようと思ってもできないくらいの自然な行為、本当の敬意から生まれた行為なのでしょう。ブリューワーズのファンは、特にこの第6戦のほとんどをカーディナルスとブリューワーズ両方に対してイライラする時間を過ごしましたが、このひとときだけは救われたように思えました。CrazierでもありGreaterな瞬間でした。

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