[国際政治短評]ノーベル賞(笑)

BBC News – Nobel Peace Prize awarded to European Union (2012/10/12)
European Union wins 2012 Nobel Peace Prize – EUROPEAN UNION – FRANCE 24 (2012/10/12)
BBC News – Nobel Peace Prize: Surprise in Brussels at award for EU (2012/10/12)
The Nobel Peace Prize 2012 – Press Release (2012/10/12)

ヨーロッパは第二次世界大戦で荒野と化しました。この大戦が始まった要因はさまざまありますが、その中の一つが資源争い、特に鉄鉱石と石炭を巡るドイツとフランスという大陸ヨーロッパの二大国の争いでした。世界史もしくは政治・経済の教科書に書かれているように、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)はそのような教訓の下で1951年、この二カ国にイタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグが加わり発足しました。それが時代を経て、今のEUに至ります。

ECSCの誕生は、第二次世界大戦以前でも、近代から戦争が耐えなかったヨーロッパにおいて、物理的な平穏(と東側共産主義に対する強固なる防波堤)をもたらしました。2012年、ノルウェーのノーベル賞委員会(ノーベル生理学医学賞はスウェーデンのカロリンスカ研究所、平和賞と生理学医学賞以外のノーベル賞はスウェーデンの王立科学アカデミーが発表)がこの年のノーベル平和賞を、誰もが予想しなかったEUに授けると決めたのも、そのプレスリリースの冒頭で、過去60年間この国際組織が担ってきた役割を評価したものでした。

The union and its forerunners have for over six decades contributed to the advancement of peace and reconciliation, democracy and human rights in Europe.

ご存知の通り今のEUは世界からは景気減速の目の敵にされ、統一通貨の下で構成国同士はギリシャやスペイン支援ではなかなか一枚岩になれません。経済が悪化した構成国では、失業者が溢れかっています。この平和賞のニュースと前後するかのように、ワシントン・ポストはギリシャの失業率が25.1’%に達したことを伝えました。そしてそうした国では、緊縮財政に反対するデモやストライキが多発し、警察はそれに対して催涙弾を打ち込みます。確かにヨーロッパは戦後その努力により戦争のない地域となりましたが、今のヨーロッパには「和解」や「人権」ではなく「内輪の対立」だけが存在しています。ノーベル賞委員会もその点を理解した上で、それでもEUが授賞に値することをこのように説明しています。10文字以内でまとめるならば、「原点に立ち返れ」ということです。

The EU is currently undergoing grave economic difficulties and considerable social unrest. The Norwegian Nobel Committee wishes to focus on what it sees as the EU’s most important result: the successful struggle for peace and reconciliation and for democracy and human rights. The stabilizing part played by the EU has helped to transform most of Europe from a continent of war to a continent of peace.

しかし、「アラブの春」あるいはロシアの人権活動が平和賞を受賞すると思っていたブリュッセルのEU関係者ですら驚いた今回の授賞に対しては、誰もが疑問に感じます。そもそも、なぜ今EUがノーベル賞平和賞を授賞しなければならないのか、ということです。政治的意図が感じられるという声はありますが、これはそんなこと以前の問題だと思います。

つまり、ノーベル平和賞、もっといえばノーベル賞そのものが、価値をがないのではないかということです。特に平和賞は、2年前、アメリカのバラク・オバマ大統領が「核のない世界を目指す人物」として受賞したのをはじめとして、疑問に残る受賞者を何人も排出しています。今回のEUもそれに匹敵するどころか、それを超える疑義を発表後数時間にして既に生み出しています。

ノーベル賞委員会がどれだけこれまでEUが培ってきた「和解」の精神や「人権」に対する役割を強調したからといって、一般のヨーロッパ市民の多くは納得しないでしょう。それどころか、政治的にも経済的にも融合したことで、ユーロではなくフランやマルクの時代に戻りたいという声が高まっているほどです。失業者は自らの人権、もっといえばEUによって人として活動できることを享受されている意識など皆無でしょう。また、「和解」の精神があるのであれば、なぜ加盟を望んでいるNATO加盟国のトルコはEUに入ることができないのでしょうか。EUにとって宗教的な和解は二の次なのでしょうか。

長い歴史を振り返り、ECSCからEEC、EC、そしてEUといった組織がヨーロッパに明確な武器による戦いのない、平和をもたらしたことは評価すべきことです。しかし、それならば委員会は例えば、通貨統合を果たした1999年に授賞してもよかったのではないでしょうか。そこから浮かび上がる疑問は、ノーベル平和賞、もっといえばノーベル賞そのものが、誰かが受賞することではなく、誰かに授賞させることにしか存在していないのではないか、というものです。別に、ノーベル賞にふさわしい人物、団体がなければ「該当者なし」でいいはずですが、先例はそうしてきませんでした。むりやり過去の業績を引っ張りだして、平和賞を誰かにあげることで、今そこにある紛争や醜い部分を目立たせる必要はないのです。それならば、今の紛争などを解決した人物こそがすぐ平和賞を受賞すべきです(そのほとんどがイスラム教徒である「アラブの春」が平和賞を受賞するのは、あと何年後のことでしょう?)。

設立当時の崇高だったかもしれない理念からかけ離れたノーベル賞は、授賞する側の「誰かを褒めたい」という奇妙な欲求を満たすために立脚しているものではないかと、今回の平和賞のニュースを見て感じます。この時期、ノーベル賞のニュースはTwitterなどでも速報されますが、その発表にいつまでも一喜一憂する国、ノーベル賞の受賞により株価が動くような国は、世界を見回してもごく僅かです。平和賞に限らず、ノーベル賞は授賞側の自己満足と、ノーベル賞という言葉を崇め、国威発揚に使う国(それが盲目的もしくは選択的に関わらず)がある限り、生き残るのでしょう。
欧州統合と新自由主義―社会的ヨーロッパの行方 フランソワ・ドゥノール (著), アントワーヌ・シュワルツ (著), 小澤 裕香 (翻訳), 片岡 大右 (翻訳)

[短評]原発と民主主義

【2012年5月2週】気になるニュースや話し合いたいテーマはこちらまで

菅前首相:浜岡運転停止要請から1年 単独インタビュー(毎日新聞)

国内の原子力発電所が全て運転停止になりました。その発端は紛れもなく菅直人元首相がほぼ1年前に行った浜岡原発に対する停止「要請」という「命令」でした。日本のどの法律を読んでも、首相が原子力発電所を停止できる権限を付与する根拠もなく、ましてや健全な私企業の経営に介入できるなどとは書かれていません。その意味で、菅氏は民主主義や法治国家そのものを否定した行為を平然と行いました。

しかし、原発反対派の毎日新聞社は菅氏に対してそのようなことへの疑問を投げるわけでもなく、また菅氏はその点の反省を全く見せていません。挙げ句の果てには、エネルギー政策は国政選挙の焦点になるべきではないか、という問いに対して、このように答えています。

どういうエネルギーを使うべきかは、最終的には国民が判断すべきもの。技術的な問題やいろいろな専門的の議論があっていいが、最後は技術論を超えたところで国民が判断すべきだ。国民の選択で一番分かりやすいのが国政選挙だ。

これが思いつきで原発を止めた元首相の浅はかな言葉です。もしエネルギー問題が国民の判断すべき事項であるならば、昨年、内閣総辞職ではなく解散総選挙を行うべきではなかったでしょうか。そこで民主党も他の政党もエネルギー政策を打ち出して国民に判断させればよかったのです。それが民主主義というものです。そこで原発を全廃ということが決まれば納得がいきます。それなのに、菅氏が自らの独裁的な行動を自慢しつつ、国民には「後はよろしく」と言わんばかりの態度に怒りを覚えます。同時に、民主主義を否定する人物がいる政党だからこそ、今の原発再稼働問題でも、内閣はデュープロセスを無視して判断していると批判されても不思議ではありません。

原発再稼働で軽視される行政プロセス (ダイアモンド・オンライン)

原発が1つも稼働しない状況で、この夏の電力事情がどうなるかは、予測の域を超えないので現時点では何とも言えません。しかし、この1年間の原発問題とエネルギー問題の右往左往を見て明らかになったのは、日本の民主主義、法治国家としての危機が来たことです。それなのにこの問題は全く語られず、一部の国民は法的根拠を無視した行為を支持するというとは、そこまでして民主主義を放棄したいのかと思います。特に原発反対派、菅氏の独善的行為を支持した人たちは、その点をどう考えているのでしょうか。

ちなみに、一部政党が掲げている憲法改正案の中には、緊急事態には首相が強権を発動できる、とするものが見られます。しかし、菅氏のような人物が首相であった場合、果たしてそのような人物にそこまでの強権を与えていいのかと疑問にもなります。それどころか、緊急ではない事態で強権が発動されたらどうするのでしょうか(菅氏が浜岡原発へ行ったものはまさにそれです)。非健全な民主主義国、法治国家にあっては危険な条項に感じられます。

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