[MLB短評]新制度1年目

Anthony Castrovince: Clinches call for different celebrations | MLB.com: News

2012年のメジャーリーグのレギュラーシーズンが驚くような形で終了しました。

半年以上前、東京で開幕戦を行ったオークランド・アスレチックスは、初戦を落としたため、残り160試合において一度もディビジョン単独首位に立つことはありませんでした。しかし、アスレチックスは162試合目にして単独首位に立ちました。それはそのままディビジョン優勝を意味します。長い間首位に立っていたテキサス・レンジャーズは、13ゲーム差も、最後の試合での4点差も、安全なリードではないことを思い知らされました。レンジャーズは今シーズン前半、圧倒的な勝率で今年こそはワールドチャンピオン、ジョシュ・ハミルトンは間違いなくMVPと考えられていましたが、MVPはまず難しく、ワールドチャンピオンになるには1試合多く戦わなければならなくなりました。


今年からメジャーリーグではプレイオフ進出チームが1枠増えました。これは昨年の162試合目にあったタンパベイ・レイズとボストン・レッドソックスのプレイオフ争いに感化されたものなのでしょう。確かに勝率を基準に出場チームを決めるワイルドカード自体は悪い制度ではありません。むしろ、他のディビジョンにいれば優勝すらできたのに、というチームにも公平に出場機会を与える制度だと思っています(その点、5割を割っても3位ならば日本シリーズに出る可能性が与えられる日本のプロ野球のプレイオフ制度とは違う)。ただ、個人的にも、そして一部の声にも、一枠増やしたことは「救済策」ではないか、特にアメリカンリーグのイーストからプレイオフ進出できるチームを増やすための措置ではないかとも考えられていました。そのようなことをしなくても昨年の162試合目はあれだけ盛り上がったのです。

しかしいざシーズンを振り返ってみると、昨シーズンあと一歩でプレイオフを逃したレッドソックスにとって、プレイオフの枠がひとつ増えたことは全く関係ありませんでした。レッドソックスは今シーズン46年ぶりに最悪な結果となったばかりでなく、最後のヤンキーズとの3連戦を全て負け、オリオールズとヤンキーズとの「163試合目」をお膳立てすることすらできませんでした。そしてボビー・バレンタインは1年も経たないうちに監督職を追われました。

むしろ、プレイオフの枠がひとつ増えたにより、ディビジョン優勝の価値が上がったというべきでしょう。今年からのプレイオフのフォーマットでは、ディビジョン優勝のチームは自動的に最大で5戦行われるディビジョナル・プレイオフから戦うことができます。一方でワイルドカードでプレイオフ枠を獲得した2チームは、まず1試合のプレイオフを戦った後、ディビジョン優勝チームとの間で最高の勝率を収めたチームと戦います。それは、1試合でポストシーズンが終わる可能性がある、ということです。NFLのプレイオフでは、各カンファレンスの勝率上位2チームは、プレイオフ初戦を戦わずに済みます。メジャーリーグは、ディビジョン優勝チームにこれと似た効果を与えたかったものと考えます。

同時にそれは、プレイオフ進出を決めたからといって、そこで安泰してはいけない、あるいはもっと上を目指すべきということを各チームに警告したようにも思えます。レンジャーズはその罠に引っ掛かり、最後のアスレチックスとの直接対決で3連敗を喫しました。逆にヤンキーズとの直接対決が9月中旬で終わったオリオールズは、他力本願的に163試合目での逆転優勝を狙うべく戦ってきましたが、その希望は潰え、タンパベイからアーリントンへ飛んでレンジャーズとの対戦に挑みます。それでも、1997年以来のプレイオフ進出は目を見張るべきことです。

それでも、メジャーリーグはここまでの盛り上がりを予想しなかったはずです。同時に、多くの評論家もファンも、大金を使いチームの補強を行ったチームがことごとく162試合目を前にしてプレイオフ戦線から離脱するとも考えていませんでした。

新制度開始1年目にして、アスレチックスはこの恩恵に預かり、レンジャーズは想像もしない形で無駄に1試合多く戦わざるを得なくなりました。その喜びと落胆の感じは、両チームのFacebookのヘッダー画像にもくっきり現れているように感じます。

メジャーリーグのプレイオフは現地時間から金曜日に始まります。この1試合がポストシーズンを左右するような試合になるのかどうなのか、まずは楽しみたいと思います。

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[国際政治短評]民主主義、とは?

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2011年はいったいどういう1年だったのか、Protesterを今年の人に選んだTIME誌を読みながら考えていました。日本では震災と原発問題が支配した1年だったかのように言われていますが、全世界的には北アフリカや中東での民主化運動や、西欧やアメリカで起こった反政府市民運動もしくは暴動への注目度が高いようです。

北アフリカや中東の民主化運動が起こったとき、過去の歴史的な反政府運動との比較がなされました。たとえば1848年フランスで起こった王政打倒の運動では、当時印刷技術が発達し、新聞がその動きを逐一報告したことにより広まりました。1989年の東欧の民主化運動では、市民が密かに受信していた衛星放送により共産圏の壁が打ち壊されました。

ちょうど昨年末、チュニスのひとりの果物売りが行政への不満を焼身自殺というかたちで表明しました。食べ物と火という、最も基本的なものがチュニジアの反政府・民主化運動へ繋がりました。その運動はまず最初にTwitterやFacebookを経由して、その後イスラム世界ではまだ新しいメディアであるアルジャジーラを通じて、隣国や世界へ伝播していきました。アルジャジーラはそれまで反欧米・親イスラムメディアであると考えられていましたが、チュニスやカイロ、トリポリなどから目の前のことをリアルタイムかつありのままの形で伝えることに徹しました。

一方でロンドンやアメリカで起こった格差拡大に起因した運動も、やはりTwitterやFacebookを使いその運動が拡大しました。ロンドンでの暴動では、政府がBlackberryによるSMSの通信を制限しようとすらしたほどで、それを見るだけでも、誰か明確なリーダーが率いて行われていたこれまでの反政府運動とは一線を画しているものでした。

それが発展したのは#occupywallstreet もしくは#ows というハッシュタグで有名になったアメリカの反政府運動でした。中東の民主化運動では、圧政のもとで声を上げることが最大の目的であるのとは対照的に、成熟した民主主義国家と考えられていたアメリカでは、その主張方法を変えなければなりませんでした。4年前までなら、それはバラック・オバマという人物と共に「Yes we can」と叫べばよかったのです。

しかしオバマ政権にも共和党にも愛想を尽くした市民が作り出したは、ひとつはwe are 99%という衝撃的なキャッチフレーズとoccupyという手法でした。世界の1パーセントの人物とその富がウォールストリートに集中していることを主張するため、一時はブルックリン橋を占拠するまでに至りました。奇抜かつ市民生活に影響を与えかねない手法より、全米の一般市民だけでなく世界へとその行動と主張が広まっていきました。シアトルが催涙ガスの色になった反WTOのデモのようなやり方では、もはや一般市民を覚醒できない、でもこのままでは現状がより悪化する、主催者側にはそれらの危機感があったのでしょう。

中東と欧米で起こった一連の運動は、その主張方法は民主化の程度により異なるように感じます。チュニジアやエジプト、シリアやバーレーン、最近ではロシアで行われている運動は、まず主目的が民主政治を勝ち取ることにあります。一方でイギリスやアメリカでの運動は、市民(demos)にこそ発言権があるという、民主主義の最も基本的なことを主張することにあったと思います。

しかしそういう違いがあるにしろ、これら共通した点は、我々にも主張したいことがあるという当然かつ強い思いにありました。それは年末に全世界へ映し出された、没個性的あるいは洗脳させられたと言ってもいい北朝鮮の市民とは全くもって対をなすものです。同時に、政治家や特権階級だけが主張できる手段を有する時代ではなくなったことも、こうした運動の後押しになっています。彼らは頭数は少なくとも権利もしくは金を多く有していますが、一般市民はインターネットにより頭数とそれを終結した力をもって対抗する構図ができあがりました。

そしてこの1年改めて痛感したことは、民主主義を成し遂げることとそれを維持することの難しさです。例えばアメリカでも一朝一夕で今の民主政治を形成したわけではありません。最初は独立戦争、その後の南北戦争、20世紀には公民権運動、そして21世紀にoccupy運動と、民主主義は何らかの戦いとの下でしか成長し得ないものです。今年世界はチュニジアやエジプトで民主制を成し遂げたところも見て、およびその後の混乱も見て、いかにもエジプトの春まだ遠しなどという声も聞かれますが、それが民主主義なのだと今、中東の市民は感じていることでしょう。

恐らく、2011年は反政府運動が勃興した年としてだけでなく、民主主義のあり方が変わり始める年として、後に伝えられるのかもしれません。残念ながら日本は北朝鮮と共にそうしたうねりに乗り遅れている感を否めませんが。

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