[経済短評]6年ひと昔?ふた昔?

1月16日は、検索がその当時六本木ヒルズに本社を構えていてたライブドアに強制捜査を行った日からちょうど6年でした。当時、六本木ヒルズにある会社で働いていたのですが、仕事を終えて外に出るとメディアが待機していたのを覚えています(強制捜査は確か午後4時頃に開始されたので、まじめ?に仕事をしていた自分はあの検察がドヤドヤと入る姿を見てません)。しかし、あれから6年も経ったことはすっかり忘れていました。最近ではオリンパスの事件との比較でライブドアが引き合いに出されることはありますが、ライブドア事件を振り返る論調はほぼ皆無でした。張本人が刑務所に入り、「ライブドア」という社名が消えようとしている中で、この事件そのものも完全に人々の記憶から消えようとしているのかもしれません。

あれから6年経ち、日本のネット業界は完全に世界から取り残された印象を受けます。一方でネットの世界の方向性は大きく変わっていきました。かつてのネット業界では、いかにして多くの人々にサイトへ来てもらうか、そのためにはどういったサービスやソフトを供給すべきか、ということが重要でした。あくまでも発信者思考だったのです。ライブドアがあれほどまでに企業買収にこだわったのも、ライブドアを使ってもらうこと、ライブドアブランドで日本を埋め尽くすことが主眼でした。

しかし6年ほど前からは、いかにして多くの人々に自分のサービスを使ってもらうことで、より多くの人を呼び込むかという流れに変わっていきました。こちらは利用者思考だと言えます。その象徴が、TIME誌が2006年のPerson of the yearに「You」を選んだことからもわかります。つまり、インターネットが本格的にソーシャルメディア化していったのがこの年であったと言えます。ちなみに当時のソーシャルメディアといえば、YouTubeやMySpaceあたりだったと思います。

それからの動きは、映画「ソーシャルネットワーク」を見直すか、自分の経験を振り返るかでわかると思います。2006年頃からフェイスブックやツイッターが広がり始め、2010年までにはそれが爆発的な勢いになり、生活になくてはならないツールとなりました。TIME誌は2010年のPerson of the yearでマーク・ザッカーバーグ氏を選んだことからもそれは窺い知ることができます。同時にこれらのメディアはあまりにもその存在が大きくなりすぎて、2010年にはイランの反政府運動でフェイスブックやYouTube、ツイッターが使われるようになり、イラン政府がそれらの通信を制限するまでに至ります。そしてその翌年にはチュニジアやエジプトで相次いで元首がその座を追われ、「フェイスブック革命」と呼ばれるまでになりました。

こうした時代の変化には、フェイスブックにしろ、ツイッターにしろそうした新しいメディアが生まれるビジネス的土壌がアメリカ特に西海岸には存在していたことが大きいと思います。同時に、ブラックベリーや2007年に生まれたiPhoneをはじめとしたスマートフォンの存在も抜きにして語ることができません。そして、アメリカで生まれ世界へ飛び立ったこれらのメディアは、中毒になるほどの生活ツールになっただけでなく、アメリカ型の民主主義、つまり言論の自由を伝える伝導師の役割すら与えられた格好です。

かつては、記者が取材し記事を作成し部長の承認を得て初めて「記事」となり、それがじわじわと人々に伝わっていきました。人々はポータルサイトと呼ばれるところへアクセスし、様々な配信元からのニュースを見たり、いろんなサービスを使ってきました。しかし自らの手でその場で起こったこと、誰の介在を受けることがなく、思ったことを即座に「記事」とし、即座に世界中へ伝えることができる、そして自分の好きな情報だけを受けることができるソーシャルメディアは、世界を一変させました。今週、不振にあえぐヤフーの創業者のひとりであるジェリー・ヤン氏が全役職を退くというニュースが流れましたが、それもヤフーがこうしたソーシャルメディア化の動きに勝てなかったことを意味します。

米ヤフー:共同創業者ジェリー・ヤン氏が取締役など全役職を辞任 (ブルームバーグ)

これらの変化のほとんどはアメリカ発でした。それは上に書いたようにビジネスモデルや社会の違いがあるからだと言えます。日本でも「IT革命」という言葉がライブドア事件前には騒がれていましたが、その後ツイッターやフェイスブックの流入により、国内で稼ぎを出せているITメディアは、結局日本でしか育たないメディアだったことが明らかになりました。それでも日本国内で使ってくれる人がいるのだから構わないではないか、ということも言えますが、同時にそれは基本的に日本国内でしか使ってもらえないのです。それでも「革命」と言えるのでしょうか。パソコンではなくスマートフォンが、そしてポータルサイトではなくフェイスブックやYouTube、ツイッターやUstreamなどその他いろんなソーシャルメディアが世界的に影響力を持つものとなる中で、「ガラケー」片手にして使うmixiやグリー、モバゲーといった規模のソーシャルメディア(というより単なるネットゲームツール)の影響力は自己満足の域を脱していないと言うべきでしょう。

日本で「IT革命」が失敗した理由は、ライブドア事件前後での下駄の履き違え似合ったと思います。結局のところ、日本の「IT革命」(「ライブドア革命」はもちろん、その後に「mixi革命」や「モバゲー革命」などという言葉は産まれなかったし、今後も出ないでしょう)というものはIT技術の発展と広がりに求めるのではなく、株式市場で多くの株を求めることに主眼が置かれたものでした。それが世間では「IT革命」「放送と通信の融合」と呼ばれ、政財界も霞が関もそこらへんの人々も騒いでいたのです。マネーゲームをするだけで中身のないライブドアのような会社がどれだけ拡大しても、かつて、楽天社長が言っていたように「IT財閥」(それもしょせん国内限定)となってそれで終わりだったでしょう(高い技術力やシェアを有していても、損失隠しにより袋小路に入り込んだオリンパスがその好例です)。

つまり、6年以上年前の時点でものを見る立ち位置自体が間違えていたのだから、その後どうなっても「革命」なんて起こらなかったと思います。むしろ、独特すぎるな企業文化、ネット文化、携帯文化を打ち破るかのようにアメリカから入ってくるツールやメディアがゆっくりと日本に浸透しくことで、「革命」といわなまでも「変化」が起こっているように感じます。その中にライブドア事件以降の6年間の劇的なネット社会と世界の変化と停滞した日本の社会が映し出されています。


“Time”: 75th Anniversary Person of the Year

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[国際政治短評]民主主義、とは?

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2011年はいったいどういう1年だったのか、Protesterを今年の人に選んだTIME誌を読みながら考えていました。日本では震災と原発問題が支配した1年だったかのように言われていますが、全世界的には北アフリカや中東での民主化運動や、西欧やアメリカで起こった反政府市民運動もしくは暴動への注目度が高いようです。

北アフリカや中東の民主化運動が起こったとき、過去の歴史的な反政府運動との比較がなされました。たとえば1848年フランスで起こった王政打倒の運動では、当時印刷技術が発達し、新聞がその動きを逐一報告したことにより広まりました。1989年の東欧の民主化運動では、市民が密かに受信していた衛星放送により共産圏の壁が打ち壊されました。

ちょうど昨年末、チュニスのひとりの果物売りが行政への不満を焼身自殺というかたちで表明しました。食べ物と火という、最も基本的なものがチュニジアの反政府・民主化運動へ繋がりました。その運動はまず最初にTwitterやFacebookを経由して、その後イスラム世界ではまだ新しいメディアであるアルジャジーラを通じて、隣国や世界へ伝播していきました。アルジャジーラはそれまで反欧米・親イスラムメディアであると考えられていましたが、チュニスやカイロ、トリポリなどから目の前のことをリアルタイムかつありのままの形で伝えることに徹しました。

一方でロンドンやアメリカで起こった格差拡大に起因した運動も、やはりTwitterやFacebookを使いその運動が拡大しました。ロンドンでの暴動では、政府がBlackberryによるSMSの通信を制限しようとすらしたほどで、それを見るだけでも、誰か明確なリーダーが率いて行われていたこれまでの反政府運動とは一線を画しているものでした。

それが発展したのは#occupywallstreet もしくは#ows というハッシュタグで有名になったアメリカの反政府運動でした。中東の民主化運動では、圧政のもとで声を上げることが最大の目的であるのとは対照的に、成熟した民主主義国家と考えられていたアメリカでは、その主張方法を変えなければなりませんでした。4年前までなら、それはバラック・オバマという人物と共に「Yes we can」と叫べばよかったのです。

しかしオバマ政権にも共和党にも愛想を尽くした市民が作り出したは、ひとつはwe are 99%という衝撃的なキャッチフレーズとoccupyという手法でした。世界の1パーセントの人物とその富がウォールストリートに集中していることを主張するため、一時はブルックリン橋を占拠するまでに至りました。奇抜かつ市民生活に影響を与えかねない手法より、全米の一般市民だけでなく世界へとその行動と主張が広まっていきました。シアトルが催涙ガスの色になった反WTOのデモのようなやり方では、もはや一般市民を覚醒できない、でもこのままでは現状がより悪化する、主催者側にはそれらの危機感があったのでしょう。

中東と欧米で起こった一連の運動は、その主張方法は民主化の程度により異なるように感じます。チュニジアやエジプト、シリアやバーレーン、最近ではロシアで行われている運動は、まず主目的が民主政治を勝ち取ることにあります。一方でイギリスやアメリカでの運動は、市民(demos)にこそ発言権があるという、民主主義の最も基本的なことを主張することにあったと思います。

しかしそういう違いがあるにしろ、これら共通した点は、我々にも主張したいことがあるという当然かつ強い思いにありました。それは年末に全世界へ映し出された、没個性的あるいは洗脳させられたと言ってもいい北朝鮮の市民とは全くもって対をなすものです。同時に、政治家や特権階級だけが主張できる手段を有する時代ではなくなったことも、こうした運動の後押しになっています。彼らは頭数は少なくとも権利もしくは金を多く有していますが、一般市民はインターネットにより頭数とそれを終結した力をもって対抗する構図ができあがりました。

そしてこの1年改めて痛感したことは、民主主義を成し遂げることとそれを維持することの難しさです。例えばアメリカでも一朝一夕で今の民主政治を形成したわけではありません。最初は独立戦争、その後の南北戦争、20世紀には公民権運動、そして21世紀にoccupy運動と、民主主義は何らかの戦いとの下でしか成長し得ないものです。今年世界はチュニジアやエジプトで民主制を成し遂げたところも見て、およびその後の混乱も見て、いかにもエジプトの春まだ遠しなどという声も聞かれますが、それが民主主義なのだと今、中東の市民は感じていることでしょう。

恐らく、2011年は反政府運動が勃興した年としてだけでなく、民主主義のあり方が変わり始める年として、後に伝えられるのかもしれません。残念ながら日本は北朝鮮と共にそうしたうねりに乗り遅れている感を否めませんが。

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