This Picture Shows What’s Wrong With Switzerland’s Anti-Immigrant Hysteria

Support NSA surveillance? That might depend on who’s president

PRISM of Interest: How TV Drama Anticipated the Data-Mining News

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[短評]リンカーンと日本の憲法

5月2日、仕事が早く終わったので、六本木ヒルズのTOHOシネマズへ映画「リンカーン」を観に行きました。今日はそのお話。

まだ自動車がない時代のワシントンDCは、今のように物々しい警備のワシントンDCとは程遠い街でした。かのセオドア・ルーズベルトは、大統領時代にポトマック川で水泳をして遊んでいたと言われているほどです。この映画で描かれる1865年1月のワシントンDCにおいても、エイブラハム・リンカーンは馬車に乗り街中を移動し、執務室の目の前まで陳情書を持った人が溢れかっていました。

その一方、ワシントンDCから少し離れたところでは、南北戦争による、今では想像できないほどの凄惨な状況が広がっていました。1860年の大統領選挙に当選して4年、奴隷制廃止に反対する「南部」連合政府の抵抗に遭い、戦争を終わらせることができなかったリンカーンは、どのようにしたらこの戦争を終わらせ、アメリカをひとつの国としてふたたび前へ歩み出せるようになるのか苦悩しました。リンカーンは1864年に大統領に再選されますが、その前年、ゲティスバーグでの戦いで北軍が勝利を収めたことにより、戦争の形成は北軍に傾き始めていました。同時に、2期目が始まる1865年1月は、下院で多数派を占めていた、奴隷制廃止に反対する民主党の多くの議員が失職する時期でもありました。リンカーンは、この隙間を狙って憲法修正第13条を何とか成立させようと苦悩します(上院では前年にこの法案は通過していました)。この映画は、その1ヶ月を描いたものになります。

この時期の基本的な歴史を見るには、教育テレビの「高校講座」のこのレジュメをご覧いただくのが早いかと思います。

ちなみに、リンカーンと黒人奴隷の関係としては、1863年に「奴隷解放宣言」というものがあります。これには法的効力は存在しませんでした。この点は、映画の初めの部分、大統領と閣僚が会議をするシーンでも取り上げられています。奴隷解放宣言により、南部の黒人が北部へ渡り、北軍に加わったこともまた、南北戦争の形成を変える要因となりました。しかし、リンカーンは憲法に奴隷制度の廃止を明記することを最重要だと考えたわけです。

ところで、ワシントンでは「この世で見てはいけないものがふたつある」と言われています。一つはソーセージが出来る過程、もうひとつは法律が出来る過程だというのです。この映画では憲法修正案ということになりますが、いずれにしても、議会で法案を通すには、結局のところひとりでも多くの支持を集めること、これに尽きます。実際のところ、この映画の中でも、共和党側の裏方が失職予定の民主党員に対して次の仕事を斡旋する見返りに、憲法修正案に賛成するようにと動きまわるシーンがあります。このあたりの根回しは、その手法や見返りがどのようなものであれ、19世紀も21世紀何も変わりません。

一方でリンカーンは連合政府へ密使を送り、和平を探ろうとします。このことは国務長官も感知しない中で行われたことですが、戦争での勢いを失い、疲弊している連合政府は交渉を受け入れます。しかし、南軍の交渉団がワシントンに足を踏み入れることが知れ渡ると、リンカーンは南部に弱いという印象がうまれ、憲法修正案の通過にも支障を来たします。そこでリンカーンは文字通りギリギリの線で交渉手続きを進めようとします。そのような中で、1865年1月31日、憲法修正案の下院決議の日を迎えます。

リンカーンは、もちろんのことではありますが、戦争を早く終わらせて平和をもたらすことを第一に考え、その中でも最大の障害である奴隷制度の廃止に奔走しました。しかし、この映画ではその本当の理念は何かについては、実のところそれほど強調されていません。子どもたちが読むような空想的な伝記本を元にした映画というよりも、若干の演出を含めた史実を元にした歴史映画と言うべきでしょう。だから映画を覆うものは、リンカーンの法案通過後を描いた理想よりも、法案通過前の苦悩になります。

ただし、リンカーンはこの中で非常に重要なことを話しています。奴隷制度を廃止することは、「現在の奴隷やその子孫だけでなく、まだ生まれてきていない世代に対しても大きな影響を与えることになる」、ということです。この点は、民主党が奴隷(主に黒人奴隷)が白人社会に入り込むことで、今ある社会が混乱すると懸念したのとは対を成します。つまり、民主党は今のことだけを考え、リンカーンはもっと先のことまで考えていたことになります。

この点は今の日本で行われている憲法議論とも繋がるところを感じさせました。1860年代、黒人が白人社会に入るこむことへの不安がありながらも、リンカーンは戦争を終わらせるため、そして将来のことまで見据えた上で、この憲法修正に熱意を注ぎました。一方で今の日本での憲法議論は、来るべき憲法改正より(憲法第96条を変えるためには、「現在の」憲法第96条の下での国会通過と国民投票を行われけばならないのですが)、近づいている参院選での勝利のための熱意に煽られているだけではないかと思います。もっといえば、9条や96条を変えるかどうかの問題以前に、憲法議論そのものが軽々しいものになりつつある印象があります(そのことと96条の要件を変えることはまた別問題)。

映画の中は、憲法改正をするかしないかというギリギリの世界でした。その一方、憲法改正の発議が出された時(それはほぼすべての日本人が経験したことがない光景でもありますが)、日本でもあの映画のような混乱が起こるのでしょう。混乱は関心が集まる中で生まれるからです。その際、本当に将来の日本のことを考えてまで96条を変えようという熱意が、そのときの首相が(誰かは知りませんが)持っているのだろうかという疑問がよぎります。

リンカーンは、アメリカ軍最高指揮官として戦争を見ただけでなく、アメリカ合衆国の大統領としてアメリカ史上最も重要な憲法修正にも立ち会いました。ジョージ・ワシントンを除いて、リンカーン以上に、戦争が何たるかだけでなく、民主主義とはいかに難しいものなのかということを味わった大統領はいません。その点では、今の、というよりこの先数年間の日本は、リンカーンから多くのことを学ぶことができるかもしれません。憲法記念日の前日の夜、ふと考えてみました。

Bangladesh’s prime minister: ‘Accidents happen’

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[短評]平穏までの1マイル

これは4月15日(現地時間)の午後、ボストン警察のツイッターに上げられた、ボストン・マラソンの模様を撮影したものです。4月の第3月曜日、マサチューセッツ州をはじめとしたアメリカの一部の州では”Patriot’s Day”として祝日となっていますが、ボストンにとっての”Patriot’s Day”とは、ボストン・マラソンを一大イベントとして祝う日です。このとき、警察は主に交通整理や、ちょっとしたトラブルのような不測の事態に備え、それぞれの持ち場で円滑なマラソンの進行に貢献します。そのはずでした。

この写真がツイッターにアップロードされる中、犯人の兄弟はゴール地点で圧力鍋で作った爆破装置と共に、「その時」を待ち構えていたのでしょう。世界的にも知名度が高く100年以上の歴史を持つ、平和なスポーツ大会の光景は、約90分後、おそらく歴史的になるであろう爆破事件により打ち砕かれました。そして犯人兄弟にとって、ゴール地点での混乱こそが自分たちが主役となるテロという「ゲーム」のスタートになりました。

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その瞬間、交通整理にあたっていた警察官と、非番になっていた警官はテロとの戦いに入りました。また本来マラソンランナーの救護にあたるために設けられていたエイド・ステーションは、即座にトリアージとなりました。そしてあの爆破以来、ボストンは平和なアメリカ東部の街から、悲しみと恐怖の中で暮らすことを強いられる、アメリカで最も危険な街へと一変しました。この爆破事件により失われた命は3名でした(その後、最終的に犯人逮捕と射殺に繋がる銃撃事件でも犠牲者が発生しました)。しかし犠牲者の数ではすべてを推し量ることはできません。その衝撃は、オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件や、9.11と全く変わらないものでした。それは、この事件が平和な祝日、それもアメリカに感謝をする祝日に行われる、平和なマラソン大会を、2つの爆破装置で悲しいできごとにしたからに他なりません。

ちなみに、この中で特に悲しかったのは、最初の犠牲者となった8歳のマーティン・リチャード君の話です。これは現地木曜日の午前中、オバマ大統領が追悼式典で、マーティン君が次のようなバナーを持って写真を撮ってもらったと紹介しました。

No more hurting people. Peace.

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事件のとき、マーティン君のすぐとなりに犯人がいたと報道されています。その犯人には、マーティン君の願いは全くもって聞き入れられませんでした。

この事件の直後から、全米中がボストンを支援しようとする空気を包み込みました。その象徴のひとつが、事件の翌日にヤンキー・スタジアムで行われた試合で、“Sweet Caroline”が流されたことでしょう。

この曲は、ボストンを象徴するスポーツチームであるレッドソックスのホームゲームにおいて、8回表が終わると必ず流されます。それがボストンとレッドソックスを最も嫌う都市のチームのホームゲームで流されたのです。普段、レッドソックスとヤンキーズは罵り合う仲ですが、そうしたことができるのは、平穏な生活というものを基盤としていたことに気付かされました。あの事件を境に、それすら許されない状況となったのです。

Diamond happy ‘Caroline’ offers comfort – MLB – CBSSports.com (2013/4/19)

レッドソックスはPatriot’s Dayの昼間に試合を行い、爆破事件の直前に試合を終え、空港から遠征へ向かいました。爆破事件の後、最初に行われたボストンでのプロスポーツは、NHLのバッファロー・セイバーズ対ボストン・ブルーインズ戦でした。
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For Boston, a time to heal, a time to play hockey – Sports – The Boston Globe (2013/4/18)

確かにTDガーデンへ入るには、セキュリティ上の問題により、通常よりも時間を要しました。それでも17,000人を超えるファンはこの夜最も安全な場所であるTDガーデンへ、いつものように地元チームを応援するために駆けつけました。いつもと同じことをする、それこそがボストンの市民にとってテロとの戦いに他ならなかったのです。この試合であるファンがこのようなバナーを掲げていたそうです。

“BOSTON’’ read one sign in the front row of the upper bowl, directly behind the net the Bruins defended in the first and third periods. “Beacon Of Strength That Overcomes Negativity.’’

そして、そのような力強さののろし(beacon of strength)を示すために行わた、試合前の17,000人を超えるファンによる国歌斉唱。映像を見るだけでいろいろなものが伝わってくることでしょう。

傷つけられたスポーツを癒すためのスポーツの試合が行われ、続いてオバマ大統領夫妻列席の元での追悼式典(Interfaith Service)が行われました。大統領が次のような力づい良い言葉で演説を締めくくり、ボストンは一歩ずつ前へ進みだそう、そのような空気が漂い始めました。

(T)his time next year, on the third Monday in April, the world will return to this great American city to run harder than ever, and to cheer even louder, for the 118th Boston Marathon. Bet on it.

しかしこの式典から約10時間後、ボストンはふたたび緊張に包まれます。それは犯人の兄弟にとって、爆破事件に続く力の誇示でした。それはまるでこの兄弟がFBIや警察に挑戦をしているかのようにも思えました。彼らは黙って逃げ回ることを選ばず、マサチューセッツ工科大学付近で発砲事件を起こし、大学の警官を射殺しまいた。一方で第一容疑者とされた兄も警察により射殺され、第二容疑者で、危険物を所持しているとされた19歳のジョハル・ツァルナエフが住宅街へ逃走しました。この1人を追うため、事件解明のために「生きた状態で」身柄確保するため、すべての捜査当局が総動員となります。すべての交通機関が止められ、ボストン市民に対して外出を控えるよう指示が出されるまでになりました。ボストン市民の心の支えになっていたスポーツの試合、レッドソックスとブルーインズの現地金曜日の試合は、早々に中止が発表されました。

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The games will go on, but Friday in Boston was no day to play – CBSSports.com (2013/4/19)

そして、タクシーやバスが動き出し、外出制限も解除され、極限の緊張感がゆっくりと緩みだした頃、ついにこの時を迎えました。

この瞬間、事件現場の近所からは歓喜の声があがりました。今までに経験したことがないであろう緊張感に縛られた住民たちは、静かに引き上げる警察や捜査関係者に対して感謝の念を開放感たっぷりに伝えました。
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そのような中でも、ボストン警察は非常に冷静に、このようなことをつぶやいたのがまた印象的でした。

穏やかに晴れた平和な春の祝日「愛国者の日」で始まったボストンの2013年4月第3週は、その歴史の中で最も悲しく、「クリミナル・マインド」の中の世界をはるかに超える恐怖と緊張を強いられる1週間となりました。犯人が無垢な市民とマラソンランナーへ牙を剥き、ボストンだけでなくアメリカ中を震撼とさせる一方、さまざまな英雄的な行為も見られました。前者が非愛国的だとするならば、後者は愛国的と呼べるのかもしれません。しかし、そのような英雄的な行為ができるだけ少なく済むことこそが本来重要なのではないかと思います。そして、このような事件を通じてアメリカへの忠誠心の再確認と強化がなされることは良いことだと言える反面、そのことがこうした痛ましい事件を通じなければ達成できないという悲しいにも気付かされたように感じます。それこそがマーティン君の願いであり、彼は文字通り命を張ってそのことを主張しました。でも、今は事件解決に力を尽くしたすべての人たちを大いに祝うべき時です。

ボストンは絶望的なな恐怖と悲しみ、異常な平穏、異質な緊張感を経て、本来あるべきボストンに戻って来ました。この1週間は、ボストン史上最も長い1マイルでもありました。

[短評]癒しと決意

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Obama reassures Newtown ‘you are not alone’ at vigil for victims of Connecticut school shootings – NBC News (2012/12/17)
BBC News – Obama delivers powerful pledge (2012/12/17)
Remarks by the President at Sandy Hook Interfaith Prayer Vigil | The White House (2012/12/16)

この週末は、投票所が開場する前から結果がわかっていた総選挙のニュースを全く見ることもなく、いまだにその動機が不明なコネチカット州ニュータウンの小学校襲撃事件のニュースに張り付いていました。被害者の氏名が公表され、小学校の教師に混じって、6歳7歳の子どもたちの名前がテレビの画面やニューヨーク・タイムズの1面に掲載されるのを見ると、この事件が銃社会と言われるアメリカにおいてもいかに特異なものであるかを痛感させられます。そしてささやかなクリスマスのイルミネーションが飾られるニュータウンは、この週末を文字通り祈りに捧げ続けました。

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The New York Times 2012/12/16

その街に宗教関係者と共に、恐らくこのような時期に最も必要とされている人物が追悼集会(vigil)に参加するために来ました。オバマ大統領です。事件直後、オバマ大統領は「親として」この事件に非常なる悲しみを覚えました。ひとりの政治家でもましてや再選を果たしてから1ヶ月ちょっと経った大統領でもなく、「ひとりの親」という立場でオバマ大統領は語りました。しかし今回オバマ大統領は、アメリカの代表者として、この打ちひしがれる街に対してシンプルかつ力強いメッセージを届けに来ました。

Newtown — you are not alone.

大統領関係者によると、オバマ大統領はニュータウンの高校の小さな講堂で行われた追悼集会での声明のほとんどを、自分で書き上げたとのことです。それだけ自らの言葉で訴えたいものがあったのでしょう。一方、この声明でも語られているように、オバマ大統領はこうした追悼集会に出席するのが今回で4回目になります。変な話、そして悲しいことでもあるけれども、大統領はこのような集会に出て声明を発表することに慣れてしまったのかもしれません。

この声明で、オバマ大統領はまず小学校で命を張って子どもたちを守った先生の勇気と、悲劇から少しずつでも立ち直ろうとするニュータウンの力強さを讃えました。それに続いて大統領は自らとアメリカに対して自問します。

(C)an we truly say, as a nation, that we are meeting our obligations? Can we honestly say that we’re doing enough to keep our children — all of them — safe from harm? Can we claim, as a nation, that we’re all together there, letting them know that they are loved, and teaching them to love in return? Can we say that we’re truly doing enough to give all the children of this country the chance they deserve to live out their lives in happiness and with purpose?

もちろんこれらの答えは明白です。

(T)he answer is no. We’re not doing enough. And we will have to change.

だからこそ今回のような悲劇が起こりました。銃規制の問題など、先の大統領選挙でも全く焦点になることもなければ、オバマ大統領はこの問題についてさほど関心を払っていなかったとすら言われだしています。そして、先程も書いたように、オバマ大統領はこのような追悼集会に出席するのが4回目になります。そこから導きだされたのは、このような決断でした。

We can’t tolerate this anymore. These tragedies must end. And to end them, we must change … In the coming weeks, I will use whatever power this office holds to engage my fellow citizens — from law enforcement to mental health professionals to parents and educators — in an effort aimed at preventing more tragedies like this.

オバマ大統領は全米に向けて、そして世界に向けて、「このような悲劇」を再び起こさないようにするために全力を使う、と宣言しました。事件発生からこの日まで、大統領は親として、大統領として自問を繰り返してきたわけで、その答えがここに出ました。同時に今後数週間、恐らくは来年の大統領就任式頃になるのかもしれませんが、大統領はより具体的な決断を下さなければならないことでしょう。しかし、BBCのマーク・マーデル氏が語るように、オバマ大統領は直接的な表現を避けつつも、これが銃ロビーへの戦いの狼煙になったことは想像に難くありません。

He didn’t directly mention gun control, but speaking in front of an audience of the bereaved and their friends in Newtown, it is the strongest pledge a president has ever made to wrestle with the powerful gun lobby.

一方、ピュー・リサーチ・センターによると、2007年のバージニア工科大学での銃乱射事件、2011年1月のツーソンでの乱射事件、今年のコロラド州オーロラの映画館での銃乱射事件後に行われた世論調査では、アメリカ国民の銃規制もしくは武器所有についての見解に変化がないことが示されています。

現役の下院議員が襲われた2011年のツーソンでの銃乱射事件の頃、アメリカ議会は「ねじれ」により民主、共和両党が経済政策で対立状態にありました。その時、オバマ大統領は民主主義は暴力に屈しないこと、そして国民全てに対して、政治色を控えめにしつつ、融和を解きました。現在、民主党と共和党は「財政の崖」をいかにして回避するべきかで対立しており、待ったなしの状態です。その中で発生したのが今回の乱射事件です。そこで大統領は子どもたちをいかにして守るべきかという親としての決意と、これ以上の悲劇を起こさないという大統領としての決意を述べました。

今回の声明は、会場の近くのレストランにいた人の声にもあるように、特にニュータウンの人々にとっては癒しとなったようです。一方でオバマ大統領の決意は議会や国民をどれだけ動かすことができるでしょうか。それは大統領の行動力に掛かっているように感じます。銃規制と武器所有の権利の間の戦いは、「財政の崖」よりも古くて根が深く、何倍もやっかいな政治問題です。

[短評]親として、大統領として

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‘Why? Why?’: 26 dead in elementary school massacre – CNN.com
Connecticut mourns after Newtown massacre; 27 dead, including 20 children- The New Haven Register (2012/12/15)
EDITORIAL: Tragedy in Newtown- The New Haven Register (2012/12/15)
Statement by the President on the School Shooting in Newtown, CT | The White House (2012/12/14)

先々週、カンザスシティで発生したチーフス現役選手によるガールフレンドの銃殺と、それに続く銃による自殺事件のとき、「銃社会のアメリカでも、一般の人がふつうに街を歩いていて銃の事件に出くわすことはそれほどない」と書かせてもらいました。何度かアメリカに行かせてもらいましたが、よほど治安の悪い地域ではない限り、そのような事件を見かけたことはありません。むしろ、アメリカ市民でもここは危ないと感じていれば、そこへ近づかないようにしているのではないでしょうか。

ふつうの街ですら銃の発砲に出くわすことなどそれほどないのに(仮にそうしたイメージがあるとしたら、それは映画かテレビドラマの見過ぎなんだと思います)、まさか郊外の静かな小学校に銃が持ち込まれることがあるなんて、どのアメリカ市民も考えることはないことです。日本風に言えば「安全神話」とでもいうべきか、アメリカでも小学校は安全かつ神聖な場所、そう信じられていました。だからこそ、コネチカット州ニュータウンのサンディフック小学校で発生した、今回の銃乱射事件は、コネチカット州を超えてアメリカ全体、そして世界中が震撼をする事件になりました。この事件において、20人の子どもたちと6人の先生、そして犯人が死亡しました。

2012年にも、残念なことにアメリカでは銃による犯罪は数多く起こりました。コロラド州では映画館で乱射事件が発生し、現地時間火曜日には、オレゴン州のショッピングモールでも乱射事件がありました。そこにコネチカット州の小学校の乱射事件も残念な形で加わることになりました。ただし、今回の事件がこれまでの乱射事件と大きく違うのは、アメリカ人でも絶対に安全と信じていた小学校で乱射事件が起こったこと、そして何の罪のない子どもたちがその犠牲になったことです。これは実際に命を落とした子供だけでなく、それを近くで見聞きしていた、生存した子供たちにとっても将来まで心の傷として残ることでしょう。子どもたちはテレビや新聞などの取材に対しても、見た目冷静にその時の模様を話しているようです(そこでふつうにマイクやICレコーダーを向けるメディアもすごいなと思うのだけど)。しかし、この子たちがふとひとりになったとき、またこの事件が風化していくにつれて、この事件の嫌な部分がトラウマとなっていくと考えると、今から怖いです。

一方で今回の事件を受けて、オバマ大統領は早速記者会見を行いました。しかし今回バラック・オバマ氏は大統領としてではなく、2人の娘を持つひとりの親として(as a parent)率直な思いを述べました。この心情の吐露とその立場は、オバマ氏が考えたのか、オバマ大統領が考えたのか、それともオバマ大統領のスタッフが考えついたのかわかりませんが、恐らくは党派を超えて子を持つ親としては純粋に共感できる内容(と自然な演出)だったと思います。

オバマ氏はこの記者会見の最後に、「大統領として」できる限りのことを行うと話しています(And I will do everything in my power as President to help.)。しかしその”everything power”とは何でしょう?この記者会見の本文には、不思議なことに”gun”や”shooting”という言葉はなく、この事件については「凶悪な犯罪」(heinous crime)という言葉を充てています。これはこのような状態では、大統領は人々の沈んだ心を癒す司令官(Healer in Chief)としての役割を優先させたのでしょう。逆に言えば、ここで感情に任せて銃規制という政治的な発言を行うのは適当ではないと考えたのでしょうか。

それは「親として」はふさわしくても、アメリカの大統領としてはもはや避けられない事態になりました。奇しくも、アメリカはこの乱射事件の数時間前、トルコへミサイルなどを派遣することを決定し、シリアと対峙する姿勢を示しました。アメリカはトルコとNATOを独裁国家から守る意思があっても、アメリカ国内に数多くいる無垢な子どもたちをひとりの乱射犯から守ることができないのか、そうした疑問が湧いてきても不思議ではありません(これは決してトルコ国民や虐げられているシリア国民とアメリカ国民の命のどちらが重要なのか、という意味ではありません。片やアメリカ外交の、もう一方は内政の問題です)。

しかしそれは同時に、アメリカの市民全てが果たしてこうした銃社会が彼らが望んでいたものなのかを、もう一度問い直す機会になったことでしょう。それが夢を見ることすら許されずこの世を去った子どもたちへの弔いになると思います。

We must wake up, the time is now evil is now attacking our kids. Lord please show us another way, why so much silence when so much pain exists everyday. We must come together, lets not let this be just another Tragedy. The only way to do it is together, if it takes a village to raise 1 child then it’s gonna take everything we have to save our children. Lets start having real conversation to make our world a better place. Lord my Prayer today is please help thru this Storm. Me and my family will be Praying for the entire Sandy Hook Elementary School, you’re not alone.
Ray Lewis

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[国際政治短評]ノーベル賞(笑)

BBC News – Nobel Peace Prize awarded to European Union (2012/10/12)
European Union wins 2012 Nobel Peace Prize – EUROPEAN UNION – FRANCE 24 (2012/10/12)
BBC News – Nobel Peace Prize: Surprise in Brussels at award for EU (2012/10/12)
The Nobel Peace Prize 2012 – Press Release (2012/10/12)

ヨーロッパは第二次世界大戦で荒野と化しました。この大戦が始まった要因はさまざまありますが、その中の一つが資源争い、特に鉄鉱石と石炭を巡るドイツとフランスという大陸ヨーロッパの二大国の争いでした。世界史もしくは政治・経済の教科書に書かれているように、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)はそのような教訓の下で1951年、この二カ国にイタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグが加わり発足しました。それが時代を経て、今のEUに至ります。

ECSCの誕生は、第二次世界大戦以前でも、近代から戦争が耐えなかったヨーロッパにおいて、物理的な平穏(と東側共産主義に対する強固なる防波堤)をもたらしました。2012年、ノルウェーのノーベル賞委員会(ノーベル生理学医学賞はスウェーデンのカロリンスカ研究所、平和賞と生理学医学賞以外のノーベル賞はスウェーデンの王立科学アカデミーが発表)がこの年のノーベル平和賞を、誰もが予想しなかったEUに授けると決めたのも、そのプレスリリースの冒頭で、過去60年間この国際組織が担ってきた役割を評価したものでした。

The union and its forerunners have for over six decades contributed to the advancement of peace and reconciliation, democracy and human rights in Europe.

ご存知の通り今のEUは世界からは景気減速の目の敵にされ、統一通貨の下で構成国同士はギリシャやスペイン支援ではなかなか一枚岩になれません。経済が悪化した構成国では、失業者が溢れかっています。この平和賞のニュースと前後するかのように、ワシントン・ポストはギリシャの失業率が25.1’%に達したことを伝えました。そしてそうした国では、緊縮財政に反対するデモやストライキが多発し、警察はそれに対して催涙弾を打ち込みます。確かにヨーロッパは戦後その努力により戦争のない地域となりましたが、今のヨーロッパには「和解」や「人権」ではなく「内輪の対立」だけが存在しています。ノーベル賞委員会もその点を理解した上で、それでもEUが授賞に値することをこのように説明しています。10文字以内でまとめるならば、「原点に立ち返れ」ということです。

The EU is currently undergoing grave economic difficulties and considerable social unrest. The Norwegian Nobel Committee wishes to focus on what it sees as the EU’s most important result: the successful struggle for peace and reconciliation and for democracy and human rights. The stabilizing part played by the EU has helped to transform most of Europe from a continent of war to a continent of peace.

しかし、「アラブの春」あるいはロシアの人権活動が平和賞を受賞すると思っていたブリュッセルのEU関係者ですら驚いた今回の授賞に対しては、誰もが疑問に感じます。そもそも、なぜ今EUがノーベル賞平和賞を授賞しなければならないのか、ということです。政治的意図が感じられるという声はありますが、これはそんなこと以前の問題だと思います。

つまり、ノーベル平和賞、もっといえばノーベル賞そのものが、価値をがないのではないかということです。特に平和賞は、2年前、アメリカのバラク・オバマ大統領が「核のない世界を目指す人物」として受賞したのをはじめとして、疑問に残る受賞者を何人も排出しています。今回のEUもそれに匹敵するどころか、それを超える疑義を発表後数時間にして既に生み出しています。

ノーベル賞委員会がどれだけこれまでEUが培ってきた「和解」の精神や「人権」に対する役割を強調したからといって、一般のヨーロッパ市民の多くは納得しないでしょう。それどころか、政治的にも経済的にも融合したことで、ユーロではなくフランやマルクの時代に戻りたいという声が高まっているほどです。失業者は自らの人権、もっといえばEUによって人として活動できることを享受されている意識など皆無でしょう。また、「和解」の精神があるのであれば、なぜ加盟を望んでいるNATO加盟国のトルコはEUに入ることができないのでしょうか。EUにとって宗教的な和解は二の次なのでしょうか。

長い歴史を振り返り、ECSCからEEC、EC、そしてEUといった組織がヨーロッパに明確な武器による戦いのない、平和をもたらしたことは評価すべきことです。しかし、それならば委員会は例えば、通貨統合を果たした1999年に授賞してもよかったのではないでしょうか。そこから浮かび上がる疑問は、ノーベル平和賞、もっといえばノーベル賞そのものが、誰かが受賞することではなく、誰かに授賞させることにしか存在していないのではないか、というものです。別に、ノーベル賞にふさわしい人物、団体がなければ「該当者なし」でいいはずですが、先例はそうしてきませんでした。むりやり過去の業績を引っ張りだして、平和賞を誰かにあげることで、今そこにある紛争や醜い部分を目立たせる必要はないのです。それならば、今の紛争などを解決した人物こそがすぐ平和賞を受賞すべきです(そのほとんどがイスラム教徒である「アラブの春」が平和賞を受賞するのは、あと何年後のことでしょう?)。

設立当時の崇高だったかもしれない理念からかけ離れたノーベル賞は、授賞する側の「誰かを褒めたい」という奇妙な欲求を満たすために立脚しているものではないかと、今回の平和賞のニュースを見て感じます。この時期、ノーベル賞のニュースはTwitterなどでも速報されますが、その発表にいつまでも一喜一憂する国、ノーベル賞の受賞により株価が動くような国は、世界を見回してもごく僅かです。平和賞に限らず、ノーベル賞は授賞側の自己満足と、ノーベル賞という言葉を崇め、国威発揚に使う国(それが盲目的もしくは選択的に関わらず)がある限り、生き残るのでしょう。
欧州統合と新自由主義―社会的ヨーロッパの行方 フランソワ・ドゥノール (著), アントワーヌ・シュワルツ (著), 小澤 裕香 (翻訳), 片岡 大右 (翻訳)

[国際政治短評]Hot issueとCool (or Cruel) Japan

【2012年8月3週】気になるニュースや話し合いたいテーマはこちらまで

朝日新聞デジタル:尖閣ビデオ公開検討 官房長官 香港活動家上陸経緯 – 政治 (2012/8/20)

藤村修官房長官は20日の記者会見で、尖閣諸島(沖縄県石垣市)に香港の活動家らが上陸した経緯を海上保安庁が撮影したビデオについて「領海警備などに支障が生じない範囲で公開できるか否かの検討を(海保に)指示した」と語った。

 藤村氏は17日の会見では「海保はビデオを公開しない方針」と説明。その後に活動家らが強制送還されたため、20日の会見では「もう(上陸した事件が)係争中ではない」として公開を検討する考えを示した。

 この上陸をきっかけに中国各地で反日デモが相次いでいることについて、藤村氏は「尖閣諸島をめぐる事態が日中間の大局に影響を与えることは双方とも望んでいない」と述べ、沈静化を望む考えを示した。

もともと公開する予定はないとされていた、香港活動家による尖閣諸島上陸に関する海上保安庁のビデオについて、政府は20日の段階で「ビデオの公開を検討」という立場を示しました。

「公開」ではなく「公開の検討」という考えが20日の時点であることに唖然としました。政府の高官はBBCやCNNを見ていないのでしょう。これらの世界的なニュースチャンネルは、その前週の段階で、本国に帰り自らの行為を堂々と誇示する活動家の映像だけが流してました。そこには活動家を逮捕して船から連行する海上保安庁以外の日本の姿は全く見られなかったのです。

これは2年前の同じ場所で発生した同じような騒動から政府は何も学んでいないということを示しています。いや、政府はあの当時正しい判断をしたと考えているのだから、学ぶものなんてないのでしょう。これでは国家の主権の最も基本的なものである領土・領海を不法に侵されたことに対して、日本は世界に対して何も主張していないと言っているのと同じです。

その割には、各省庁はこぞって(本来日本の外交を担うはずの外務省までしゃしゃり出て)アニメやマンガ、コスプレ文化などいわゆる「クールジャパン」の発信には血眼になっています。そのようなところに力を入れたことで、昨今の領土問題で日本の味方をした国はあるでしょうか。国家の基本的な権利の主張もろくに発信できないくせに、ソフトパワーの発信には力を入れるとは本末転倒です。

私はかねてから、日本政府の情報発信戦略は劣っていると思っていますし、もっといえば、今回の動きを見ても、今後それが成長する兆しはないと言い切ります。冷戦期であれば、アメリカ主導の下で温々と外交をしていればそれで問題ありませんでした。しかし今や各国がそれぞれの主権を率先して主張しなければならない時代です。ただし東アジア、いや世界の中で日本だけは、冷戦期の黙っていても何とかなるだろうという外交を続け、一方で的はずれな情報発信だけに躍起になっているという不思議な情報戦略を持っているようです。そのおかげで政府はアニメやマンガを保護してくれるのでしょうが、国家の基本的なものは守られないという状況は続きそうです。

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